日々これ研究

論文執筆の今昔

2018年2月5日

センター長になってからは基本的には論文からは手を引いていたのですが、久しぶりに論文執筆を手伝うことになりました。といいますのも、一流の論文を書くスキルを若い人に伝えてゆきたいと思っているからです。

「あぁ今日は久しぶりに論文だ」と思いながら産総研に出勤する途中、そういえば昔の論文執筆はこんな風だったなぁ...と思い出しました。私の頃はまだコンピュータは世に出たてで、グラフを書くのも、実験装置から出てくるデータは手書きでプロット、対数表示にするときはまた対数グラフにプロットし直し、という感じで論文を1本書くということがともかく手間隙のかかるものでした。

走査型顕微鏡の画像をコンピュータの画面に出して、それをカメラで撮って写真を現像に出していました。そのため研究室には専用のカメラと三脚とフードがあって、何百枚もの写真を持っていました。部屋中に撮影した写真を貼って、それをいろいろな実験軸で並べ替えては傾向を見るということをしていたことが思い出されます。今でしたら、ボタン一つ押すだけで終わってしまうことですが。

論文1本を書くのも今とは比較にはならないほど手間隙がかかったものですから、論文1本の価値もすごくあったように思います。おそらく何年もかけて実験データを取ったと思われる何十ページにもわたるような大論文が一杯ありましたし、また、そういった大論文を何週間もかけて読み込むということもしていました。

しかし昨今はコンピュータの進歩によってすごい勢いで何もかもが簡略になり、どんどん実験データを排出して、そのデータの関係性をグラフ化するときもボタン一つでどんな種類のグラフでも書ける時代になり、そこへインターネットの発達でどんどん新しい学術誌が出て、まさに論文バブルの様相です。私自身、自分が関係している学術雑誌の名前すら覚えられない状況です。論文の数がべらぼうに増えたのは間違いないのですが、読むほうの人間の時間が増える訳ではないので、論文1本当たりの価値は相対的に下がっているのでしょうね。そんな気がします。

そうはいってもその論文によって若い研究者は職を得たり、職を得なかったり、昇進したり、昇進しなかったりするので、一人一人の研究者にとっては論文を書くことには極めて大事なことで、そこに少しでも貢献できたらよかれという気持ちで論文執筆のお手伝いをするのです。

畠 賢治